長年の便秘解消(OIさん)

マクロビオティック基礎科前期レポート 

201810月〜20193月 

長年の便秘が解消した

マクロビオティックとの出会い

20012月、私は、胃癌のため胃を3分の2切除、胆嚢を全摘しました。それ以降、自力で排便をする

ことが困難になり、病院でいただいた便秘薬を17年間毎日飲み続けてきました。

薬に頼り、毎日飲み続けることに抵抗を感じていたので、お腹の調子が良いときに、時々お薬を飲まない日を作りました。でも、待って様子を見ていても全く便意が感じられませんでした。朝トイレに行っても何の変化もありませんでした。

また、TVや雑誌などで情報を得て、良いと思うものを試してみましたが、効果はありませんでした。

一日排便がないとお腹が張ったり、つかえた感じがしたり、肩こり、ムカムカなどの不快症状が出て、一日中、具合の悪い状態が続きました。だから、薬を飲む。そして、飲みたくないけれど毎日飲まずにはいられないという負の薬スパイラルに陥っていきました。私はいつの間にか「自力で排便することはできないんだ」と思い込むようになっていました。

 

 二年前、ある保養所に一週間程滞在しました。そこで出されたのがマクロビオティックの食事でした。(私は滞在中マクロビオティックとは知らずに食べていました。)

10時半と17時半1日2回。玄米菜食の食事と聞いていたので、初めての食事の時は、「玄米菜食は初体験、こんなものか」と思う程度でした。

食べてみると、体にしみいるほど美味しく、心が安らいでいくのを感じて感動したのを覚えています。また、玄米は硬くて不味くて食べにくいと思っていたのですが、もっちりしていて食べやすく美味しかったです。玄米に対する概念が変わりました。

三日目位からお腹の調子が変わってきました。お薬は飲んでいたのですが、バナナ状のお便りが来たのです。感動しました。子供の時以来でした。

何年もの間、軟便か水様便しか見たことがなかったので、びっくりしました。

私は薬を飲むのを止めてみました。次の日、お便りはなかったのですが、お腹の張りがなく不快感もありませんでした。こんなことは初めてでした。薬を止めて二日目くらいに少量ですが自力でバナナ状のお便りがありました。感激しました。

「もしかしたら、私でもこんな食事を毎日食べていたらお腹の調子が良い方向に変わっていくのではないか?」と期待がふくらみました。また、「体が喜ぶような食事を毎日

食べたい。」とも思いました。

一週間後、電車を乗り継ぎ鈍行で帰ったのですが、体も足取りも軽く、自宅に戻っても疲れていないことに気付きました。帰ってすぐ家事をしても苦にならない位動けました。これにも感動しました。

偶然だったのですが、これが私とマクロビオティックとの出会いでした。

 

恭子先生の料理教室 受講の動機

保養所で経験した感動が原動力になって、私はマクロビオティックに興味を持ちました。体が喜ぶ料理を作って毎日食べたいと思っていたので、料理教室を受講したいと思いました。でも、全く知識もとっかかりもなかったので、先ずは、本を読むことから始めることにしました。何冊か買って読んでみました。同じマクロビオティックについて書いてあっても、本によって、微妙に違いがありました。例えば、同じ食べ物でも陰陽が微妙に違っていたり、玄米だと、完全食と書いてあったり、玄米は危ないと書いてあったりしました。私の中で玄米をどのように位置づけたらいいのかわからなくなって混乱しました。でも、共通して書いてあったのは、食べ物には陰陽があって体が中庸になるように食べることでした。今まで、中学の家庭科で習った栄養学を基準に食事を作っていたので、陰陽の視点は新鮮で興味深く感じました。

 

私は、数ある本や料理教室の中で恭子先生の料理教室を選びました。

「食べ物を変えると、からだも運命も変わります」岡田恭子(河出書房)という本を読ませて頂いた時に

、食べ方や考え方、生き方に関することまで書いてあって共感するところが多々あったからです。

共感したところを列挙すると、「病気が教えてくれた贈り物を受け取り、これをこれからの生き方に生かせばいいのです」、「病気を治すのではなく、治る自分(運命)になる」「自分だけ仕合わせに」「マクロも恭子式マクロも完全ではありません。自分の体の声を聞くことの方が大事です。」などなど他にもたくさん。

また、幼少期のことや病歴なども書いてあったので、恭子先生という人間にも(失礼な言い方をしてすみません)興味を持ったからです。

 

料理教室へ行けなくなった

料理教室を申し込もうと思っていた矢先、以前から具合が悪かった腰痛の悪化に加えて、強烈に足がつるということを頻繁に繰り返すようになって遠出が困難になりました。

また同時期に、夫が発病して介護が必要になった為に病院通いの付き添いや身の回りの世話に追われるようになりました。

家の中にこもることが多くなり料理教室へは行けなくなったので、家にいる期間は、マクロを勉強する為の移行期間にしようと考えて、今までの調味料の整理や「マクロの本を見ながら料理を作る」ことをしました。

主食に関しては、白米は食べたくないけれど玄米を食べることには迷いがありました。そこで、妥協策として、亜子層を残して精米した金芽米の白米、ロウ層をカットしたロウカット玄米を炊飯器で炊いて食べることにしました。

でも、あまりにもよく足がつるので、ミネラル不足かもしれないと考え、ロウカット玄米を食べる回数を減らして調節しました。

副食は本にのっていて作れそうなものを順番に作りました。調味料は、味噌、醤油、塩の使用量が増えました。野菜は、人参、牛蒡、蓮根の使用量が増えました。

体にも変化がありました。左中指の爪に白斑が出来たり、三ヶ月で体重が5キロも減って肋骨が目立つようになったり、二の腕や内腿の脂肪?筋肉?が落ちてシワシワになったり、血圧が上がったりして、本当にこのまま続けて大丈夫なのだろうか?と不安になりました。便秘も改善されず相変わらず便秘薬は手放せませんでした。水様便や軟便でお腹は冷たく、低体温のままでした。

 

半年後の料理教室初日

基礎科の初めての授業で、先生は、「この教室に来ることが出来たのは、たくさんの幸運が重なった結果です。病気がありながらもここまで来られるだけの健康があったでしょう?電車に乗るお金も教室の授業料を払えるだけのお金もあったでしょう?」とおっしゃいました。私は本当にそうだなあと思いました。夫が一人でトイレに行け、昼食も一人で食べられるようになったから私はここに来ることが出来た

足のつりがあり、通勤ラッシュの電車に乗って通うことに不安はあったけれど、ここまで来ることが出来た。授業料や電車に乗るお金もあった。

そう思うと、夫や病気が回復して元気になったことへの感謝の気持ちが私の中から自然と沸いてきました。

 

食事の変化

癌になる前の食事

朝食 パン 紅茶 果物 ウインナー

昼食 前日の夕食の残り物に竹輪などの練り製品 ハム、ソーセージ、卵、たらこ

夕食 肉、魚がメイン

主な野菜 茄子科の野菜(トマト、ピーマン、ジャガイモ、なす、)キャベツ、ブロッコリー、ほうれん草、もやし、キノコ類、インゲン、きゅうり、スーパーで買ったお漬物(茄子、蕪、ザーサイ、べったら漬け、つぼ漬け、高菜漬け、野沢菜づけ)など

間食 主に小麦粉と砂糖と卵を使ったお菓子、チョコレート、アイスクリーム、など、甘いものを食べたいだけ、乳製品

食事の時や間食時、緑茶をがぶ飲み

術後の食事

以前とあまり変わりない食事をしていたのですが、術後、胃や腸、消化器系が食べ物に

よって敏感に反応するようになりました。

 

例えば

パンが食べられなくなった→血糖値の急激な上昇により食後ダンピング(胃を切った人に起こりやすい)を起こすようになり朝食のパンは食べられなくなった。イーストフードの入ったものはムカムカしたりもどしたたりするようになった

乳製品が食べられなくなった→食べると体調不良、ムカムカなどの不快症状、もどす

清涼飲料水が飲めなくなった→特に缶入りコーヒー、紅茶は飲むともどしたり、下痢をしたり、体調不良になる

肉の脂身→消化出来ずに便に油が混じる 便の色が黒緑色、白色になる

朝食に糖分の強い菓子パン、ケーキ類 ホットケーキなどは食べられなくなる

ドライフルーツー亜硝酸で処理したものは胃が反応する

ジャンクフードのハンバーガー、フライドチキン、ドーナツ、などのファーストフード

類→ムカムカ、もどす、体調不良

生クリームを使ったケーキ類→ムカムカ

 刺激の強い食品添加物などに胃が敏感に反応するようになったので、自分の体を通して食べたらいけないものがわかるようになりました。

恭子注:
非常に興味深いデーターですね。
「岡田恭子のハッピーマクロビオティック教室」日東書院に書いてある禁止食品がみんなダメという人体実験のようなものですね。




ある日の食事

・さんまの塩焼きに大根おろしとすだち、豆腐と油揚げとわかめの味噌汁、ほうれん草のごま和え、ひじきの煮物、サツマイモの甘煮、スーパーで買ったお漬物(添加物に胃は反応しなかった)白米、緑茶を34
・豚肉のソテー、人参のグラッセ、粉ふき芋、ブロッコリー、大根と油揚げの味噌汁、サラダ(レタス、トマト、キュウリ、ドレッシング)漬物、白米、緑茶・肉じゃが(砂糖の入った、ほうれん草のおひたし、冷や奴、漬物、白米、緑茶

現在の食事
朝食 梅生番茶、先生紹介のミネラル剤
昼食 玄米雑穀ご飯、ごま塩、けんちん汁、納豆、ひじき蓮根、小松菜のごま和え
夕食 玄米雑穀、牡蠣の味噌鍋(白菜、こんにゃく、ネギ、豆味噌、甘みは白味噌、タマネギで)

主食は主に玄米雑穀、副食はハッピーに載っているものを中心に、時々、牡蠣、鶏肉、

シジミなどの貝類、鰯やサンマなどの魚、卵(月一回から二回)など動物性のものも

少しとっています。


恭子注:
現在の食事は、この方の体調に応じて私がアドバイスした食事となっています。



体の変化

便秘の解消が一番大きな変化です

黒豆入り玄米ご飯とけんちん汁がスタートしました。便秘薬は、飲まないで様子をみることにしました。1日目

2日目、お便りはありませんでした。お腹に便がたまった感じがして気持ち悪くなり、薬を飲みたい衝動に駆

られたのですが、もう1日だけ我慢してみることにしました。


3日目の朝、待望のお便りがありました。昨日薬を飲まなくて良かったと思いました。

4日目、5日目もお便りがありませんでした。一日中便がたまった感じがして気持ち悪く、また口の中の粘膜がただれたようになって白い筋のようなものが出来ていました。

5日目の夜、お腹が気持ち悪くてどうしても我慢が出来なくなったので、便秘薬を2錠飲みました。

その後は、お腹の張りを感じながらも少量ですが自力で毎日お便りが来るようになりました。お小水も以前は無

色透明に近くあまり色がなかったのですが、濃くなりました。


恭子注:
すぐに結果が出るものと長年の身体の癖が解消されるには少し時間を要するものとがあります。
このあたりは、根気よく努力を重ねることです。


 

私の「食べた物、出した物ノート」には、薬の欄を設けてあります。それ位、便秘薬を飲んだか飲まないかが私にとっては一番の関心事でした。


恭子注:
全員に「体に入れたものと出したもの」の記録ノートを作ってもらいます。


それを見ると、黒豆入り玄米ご飯とけんちん汁の食事が始まって、5日目に2錠飲んだきり現在まで一度も飲ん

でいませんでした。こんなことは、18年間一度もなかったので、大袈裟な言い方だけど、別の人生を生きている感じがしています。

 
恭子注:
バンザイ! ですね。



冷たかったお腹も今は温かくなりました。低体温でしたが(35度代)、今は、少し上がって36度代をキープしています。血圧も低かったのですが、少し上がって正常値を保っています。100回噛むようになって、食事中にお茶をがぶ飲みしなくなりました。

食後に茶色いお茶を1杯飲んで満足するようになりました。

レポートを書いたことで気づいたこと

レポートを書く過程を通して、ぼんやりしていた頭の中が整理されていきました。

そのためか、今まで何度も先生から聞いて、わかったつもりになっていたのに、改めて食べる物が体に直接影響し、その結果として出す物に現れるということを実感をもって理解することが出来ました。口に入る物をどう自分で選んで入れるのか。その結果どういうお便りが来るのか。食べ方によってどう体が変わるのか。自分で観察出来るようになって初めて自立への道が開かれるように思いました。

このような機会を与えて下さってありがとうございました。

心の変化

6年前、精神的に強いストレスに晒される日が6カ月続いたある日、私は西新宿である講座を受けていました。

突然、心臓が高鳴り、今までに経験したことがない、例えようがないような落ちつかなさを感じ、その場にいられなくなり退室しました。

どうやって家に帰ったのか覚えていないのですが、西新宿の高層ビル街が私に襲いかかってくるように感じ、息が出来ないほど苦しかったのを覚えています。

 

やっとの思いで家に帰ったのですが、なにも手につきませんでした。6月だというのに体が寒くて寒くてたまらなく、布団をかぶってもなかなか暖まりませんでした。顔面の右頬骨のところに突然痛みが走り、キリキリ痛みました。また、突然、自宅の13階のベランダから飛び降りたい衝動に襲われました。いてもたってもいられないような落ち着かない状態で、じっと我慢して布団の中でじっとしていました。そのうち夫が帰ってきてなんとかその日は落ち着きましたが、落ち着かなさは、それからも続きました。


恭子注:
これは「不安神経症」です。

 

それでも、23日は、家事を普通にやろうとして頑張りました。でも、洗濯はできてもお料理が作れなくなりました。お料理を作るには、食べてくれる人のことを考え、メニューを考え、材料を用意し、美味しく作るための手順を考え、食べてくれる人が食卓についたときに一番美味しい状態で料理がだせるようタイミングを計り、と、同時進行で段取りを考えながら動かないとできません。元気なときには、あまり意識することもなく普通にみんながやっていることだと思いますが、その普通が出来なくなり、段取りを考えることが出来なくなりました。思うように体が動かずトイレに行く以外は、ほとんど寝たきりの状態になりました。夜は、眠れず、ご飯も食べられず、体中の元気がなくなったように感じました。このままだと衰弱していくばかりなので、叔母の家で面倒を見てもらうことにしました。

 

叔母の家に行って話をしているうちに子供の頃叔母が作ってくれたおにぎりが食べたくなりました。叔母に頼むと小さなおにぎりを二つ作ってくれました。ご飯が食べられなくなっていた私ですが、その時は、食べたいと思いました。食べると、子供の頃、叔母やいとこたちとお弁当を持って裏山に登った日のことを思い出しました。叔母が作ってくれたおにぎりは、まだ暖かく、海苔を巻くと海苔の匂いが香って美味しかったのを覚えています。

海苔を巻いた白米おにぎりを食べていると、当時の感情がよみがえってきて暖かい気持ちになりました。安心感で満たされていくのがわかりました。私が子供の頃好きだったカレイとわかめの煮付けも作ってくれました。なつかしい食べ物を食べて、私は日に日に元気になっていきました。

 

3週間ほどお世話になって私は自宅に帰ってきました。が、自宅のドアを開けようとすると震えがきて中に入ることが出来ませんでした。時間をかけて仕方なく部屋に入りましたが、体中が緊張して堅くなり私にとって安心できる我が家ではなくなっていました。それでも、なんとか自宅で過ごし、なんとか自分の料理を作ることが出来るようにはなりましたが、人のために料理を作ることが嫌になりました。心や頭にロックがかかり、さび付いて動かない状態で、アクセルを踏みながら料理を作るというイメージです。お正月には、毎年、子供たちや孫たちが我が家に集まり、私が料理を作っていたのですが、それが出来なくなりました。また、孫たちの元気なエネルギーと同調できなくなり、疲れを感じるようになりました。

 

森田療法の勉強会に参加したり、山登りをしたり、ハワイ島で星空観察をしたり、

花を見ながらお散歩をしたりと、この5年間、行動することで乗り越えようとしてきました。そのおかげか少しずつ元気を取り戻し料理教室へも通えるようになり、見た目は元気になりました。

 

教室では、気を配りなさいとよく言われ、具体的に注意をして下さいます。

この年になると人に注意されることもなくなります。初めは少しストレスを感じましたが、今では、先生の愛情を感じとることができるようになりました。




恭子注:
これが、「物事本位」「自己否定しない」の大きな実践になります。

私の教室が厳しいといわれるゆえんです。

何度も言うように私が厳しいのではないのです。

料理の盛り付けは器の正面に立って盛り付けましょうね、とお伝えするときに、正面に立たないと私が注

意するのです。
それを、ああ、自分が注意されてばかだった、とか、恥をかいたとか、思うとつらいの

です。その都度、私は、「人格否定をしているのではないですよ、馬鹿だといっているのではないですよ

、とがめているのではないですよ」と口を酸っぱくして言います。

が、実は皆さんは、自分で自分の人格否定をしているから、つらいのです。

この辺がわかってくると、一皮むけて自分を解放できる、自己否定しない、物事本位、が身についてくる

のです。
私の教室で皆さんがお元気になってくる大きな要因は、実はこの授業の「物事本位」なのです。



注意されるとハッとしますが、それから、気づきが生まれます。確かにそうだったと。

その時、注意された具体的な対象に、意識を向けるということを繰り返していくうちに、さび付いていた心に油がさされ、少しずつ少しずつですが、具体的に心が動き始めたと感じています。時間はかかると思いますが、ゆっくり、少しずつ前進していけたらと思っています。半年間ありがとうございました。


 恭子から一言
 
非常にまじめで頭のいい方です。

とてもきちんとしたお母様に育てられ、その要望に沿って自分を律してきた心のナイーブなとても優しい方です。

私と同じ神経質な性格です。神経質の良さは、いろいろな気配りができるということです。

その気配りを、自分の病気や症状や失敗に向けないで、

前に出る、前進する、人をちょっと笑顔にする任を果たす方向に使えば、素晴らしい性格になります。

何よりも、教室にいらしてから、お顔の肌の色が明るくきれいになり(便秘が治ってきた証拠)、表情も明るくなりました。

食事という科学で体を元気にしながら、同時進行で、心も恭子式マクロで、さらにお元気になっていただきたい、と

切に思っています。私はどこまでもお手伝いさせていただきます。